「天国への階段」歌詞の意味について | ||||||
2013年5月30日 |
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すべての価値と論理が相対的である時、音楽こそが絶対的な価値となりうるのではないか。音楽こそが天国へのきざはしであるのではないか。それがこの曲のテーマであり、ロック全体のテーマでもある。(中略) 音楽は天国へのきざはしであり、輝くものすべてを黄金に変えるマジックであるとツェッペリンはいっている。それを妄想と呼ぶのなら、それはそれでいいだろう。そうした貴方の聡明さが、この偉大な、そして限りなく荒涼とした近代文明とやらを作り出して来たのである。私は、むしろそうした聡明さとは無縁でいたい。ツェッペリンの解答とはそんなものだ」(以上、渋谷陽一著『ロックミュージック進化論』/1980年刊) 事実、LED ZEPPELINは、この「天国への階段」を分岐点として、自らの音楽想像の方法論を変え、音から文学性を排除し、音に確信性を付加させた音造りを行っていく。そして、その頂点を極めたアルバムがロック史上最高の傑作『プレゼンス』である。 この渋谷氏の歌詞の解釈は、氏が1982年に行った“ジミー・ペイジ電話インタビュー”で、ジミー・ペイジに曖昧なことを言われ、否定されてしまったという経緯がある。 しかし、私は決してそうは思わない。例えば、ジェフ・ベックやデヴィッド・ボウイ、ビートルズのように音楽的変化を推進してきたミュージシャン、バンドはあるが、皆、支離滅裂(言い過ぎか)な変化をしている。だが、或る種のストーリーに則ったかのような変化を推進したミュージシャン、バンドはツェッペリンだけなのである。幾ら、ジミー・ペイジが稀代の天才音楽家であったとは言え、音楽想像はそう甘くはない。渋谷氏のように「天国への階段」の歌詞の意味を捉えないと、その後のツェッペリンの音楽変化の説明のしようが無いのである。渋谷氏が電話インタビューを行った頃のペイジはハード・ドラッグ中毒で、また、ZEPPELIN解散もあって鬱状態であったのではないだろうか。更に言えば、ジミー・ペイジは昔から今日まで、LED ZEPPELIN・サウンドの秘密を頑なに守っている。また、例え、ペイジがそう思っていなくとも、作詞者のロバート・プラントがその様に考えていたとも言える。 何れにせよ、『私たちは、的確な原理に基づいた確信をもってこそ、明確な思考・批評を確立することができる』のであり、また、ただ独りよがりを言うだけでは明確な思考や批評性を獲得できないことは確かであり、そうしたことを私はLED ZEPPELINの「天国への階段」の歌詞から学んだ。私が、中学2年生から3年生に進級する春休みのことであった。 |
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