『天国への階段』 詳細・1

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LED ZEPPELIN 「天国への階段」訳詞  翻訳・葛西唯史
2013年5月30日
眩いほどに輝くものは全てが黄金に変わると信じ、その黄金をもって天国への階段を買おうとしている女性がいる。例え彼女が辿る全ての店が閉じていたとしても、彼女はあるひとつの言葉によって天国への階段を買おうとしている。店の壁には張り紙がしてあるものの、そこには彼女が求めようとしている『確かさ』はない。何故なら言葉には時折、二律背反の意味があるからだ。流れゆく小川のほとりの木々の梢で鳥がさえずる。『私たちが思っていることは、全てが疑わしいものである』と。その言葉が私を惑わせるのだ。西の方向に眼を向けるたびに私はある想いに襲われる。「消え去りたい」と、私の魂は悲痛に叫び泣いているのだ。朦朧とした想像の世界で、樹木の間に浮かぶ幻想の煙を私たちは見つめているのみなのだ。これが私たちの現実なのである。今尚、私たちは立ちつくしながら、見守る人たちの声を聞き入るのみ。この現実が私を惑わせるのだ。
 だが、私は、激しく心から音を求めるならば、音楽こそが私たちの絶対の真理になることを信じている。そして、それを長きにわたり信じつついた人々には、新しい時代の夜明けが来て、全ての森に笑い声がこだまするであろう。例え灌木のなかで何かがざわめいていても、もう何も不安がる必要はない。それは五月女王のために降りそそぐ小雨の音なのだから。私たちが歩いていく道が二手に分かれていても、歩みをやめない限り、私たちは自らの歩む道を変えることが可能なのだ。君たちの頭のなかでさえずるような音がするが、それは決してやむことがないのだ。それは笛を吹く者が、君たちを仲間に加えようと誘っている証なのだから。
 愛しき女性よ、吹き流れる風の音が聞こえますか。貴方の天国への階段は囁く風のなかに託されているのですから。
 そして、私たちは道を歩みつづけて行くと、私たちの影は私たちの魂よりも高くそびえ、そこには私たちの誰もが知っている女性が歩いている。彼女だけが全てが黄金に変わりうるという確信を与えてくれる。もし、君たちが懸命に音と音楽を聴くならば、ついにはあの音が聞こえてくるであろう。
 全てがひとつであり、ひとつが全てである時、私たちはひとつの岩になり、もはや決して揺らぐことはない。

「天国への階段」歌詞の意味について
2013年5月30日




「歌の主人公は一人の少女である。どんな少女かと言えば、輝くものは全て黄金に変わると信じている少女である。そして彼女はその黄金をもってすれば天国への階段を買えるとも確信している。当然の事、誰もが彼女の確信を笑う。僕らだって、そうした女の子がいたら笑うだろう。ところがこの歌は、笑う僕らの側の論理に対し、本当にその論理は確かなものだろうかと問い直している。現在の僕らの日常の不幸は、そのいかにも正しそうな論理とやらに根ざしているのではないか、というわけである。歌のテーマは、女の子の確信こそがロックであり音楽の論理なのだと展開していく。(中略) 彼女と同じように僕らもその確信を共有し、激しく音を求めれば、その時こそ輝くものは全て黄金に変わり、天国への階段を手にすることができる。(中略)
すべての価値と論理が相対的である時、音楽こそが絶対的な価値となりうるのではないか。音楽こそが天国へのきざはしであるのではないか。それがこの曲のテーマであり、ロック全体のテーマでもある。(中略) 音楽は天国へのきざはしであり、輝くものすべてを黄金に変えるマジックであるとツェッペリンはいっている。それを妄想と呼ぶのなら、それはそれでいいだろう。そうした貴方の聡明さが、この偉大な、そして限りなく荒涼とした近代文明とやらを作り出して来たのである。私は、むしろそうした聡明さとは無縁でいたい。ツェッペリンの解答とはそんなものだ」(以上、渋谷陽一著『ロックミュージック進化論』/1980年刊)
事実、LED ZEPPELINは、この「天国への階段」を分岐点として、自らの音楽想像の方法論を変え、音から文学性を排除し、音に確信性を付加させた音造りを行っていく。そして、その頂点を極めたアルバムがロック史上最高の傑作『プレゼンス』である。
この渋谷氏の歌詞の解釈は、氏が1982年に行った“ジミー・ペイジ電話インタビュー”で、ジミー・ペイジに曖昧なことを言われ、否定されてしまったという経緯がある。
しかし、私は決してそうは思わない。例えば、ジェフ・ベックやデヴィッド・ボウイ、ビートルズのように音楽的変化を推進してきたミュージシャン、バンドはあるが、皆、支離滅裂(言い過ぎか)な変化をしている。だが、或る種のストーリーに則ったかのような変化を推進したミュージシャン、バンドはツェッペリンだけなのである。幾ら、ジミー・ペイジが稀代の天才音楽家であったとは言え、音楽想像はそう甘くはない。渋谷氏のように「天国への階段」の歌詞の意味を捉えないと、その後のツェッペリンの音楽変化の説明のしようが無いのである。渋谷氏が電話インタビューを行った頃のペイジはハード・ドラッグ中毒で、また、ZEPPELIN解散もあって鬱状態であったのではないだろうか。更に言えば、ジミー・ペイジは昔から今日まで、LED ZEPPELIN・サウンドの秘密を頑なに守っている。また、例え、ペイジがそう思っていなくとも、作詞者のロバート・プラントがその様に考えていたとも言える。
何れにせよ、『私たちは、的確な原理に基づいた確信をもってこそ、明確な思考・批評を確立することができる』のであり、また、ただ独りよがりを言うだけでは明確な思考や批評性を獲得できないことは確かであり、そうしたことを私はLED ZEPPELINの「天国への階段」の歌詞から学んだ。私が、中学2年生から3年生に進級する春休みのことであった。